暇殺し

こんばんは。4年目になるヴィトンです。考えてみると、3年も続けた趣味は貴重で、やらないにしても生涯のものになりそうです。満足できないのに、やめられない。そんな楽しいことができない今は、腑抜けてばかりです。趣味のために生きる人間でいたい僕は、趣味に生かされている気もして、ひとりの僕が暇に殺されていることに気が付きました。他の趣味のおかげで細く生きています

 

どうせなら太く生きていきましょう。いや、実際に太くなくていい。自分が納得できれば、それで十分だと思います。だけど、どうだろう。生き生きとした自分に照らし合わせてしまうと、今の僕はシカバネです。劇団しろちゃんの中で見れば。家では生き生きしているんですけど

 

べらんめえ。家にいる手前は、モノづくりってもんを忘れちまってる。手入れくらいは、しやしゃんせ。ふと動いた時に、インクがなくても知らねえぞ

 

ちゃちな説教を自分にしつつ、僕はお気に入りのボールペンを二本持ち、暇を殺すため、サッポロの街へ繰り出すのでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

格好つけた名前ですよね。外で改めて言うと、恥ずかしいです。学校だと呼ばれ慣れちゃってますから

 

“なんで、ヴィトンなの”

 

ええと、みんな先輩にあだ名を付けてもらって、自分で気に入ったのを選ぶんです。その足がかりに、趣味とか、高校の時の部活とか、話すんですね。それで僕、合唱部だったんで、そのこと話して、ビールなんか飲みながら

 

“未成年じゃなかったのかい”

 

あ、いや、そうでしたけど、飲ませてもらえなかった気もします。あはは。それで、僕のパートがバリトンってとこで、テナーとベースの間なんです。高くも低くもないし、好きなパートですけど、特徴ないんです。そしたら、先輩が、バリトン…バリトン……ヴィトン…ヴィトンとかどう?、って。語感だけで。全然予想してなかったから、笑っちゃって

 

“随分と雑なんだね”

 

みんなこんな感じらしいです。それで、気に入ったので、そうしました、はい

 

“へえ。なんだか楽しそうだね”

 

はい。あの、まだお名前伺ってませんでした

 

“そんなに怯えられると、悲しいね”

 

いや、ちょっと、舞台だと大丈夫なんですけど、会話となると、緊張しいで

 

“……ナオスケにしようかな”

 

ナオスケさん、ですか。どうしてですか

 

“俺たちのこれは、一期一会だろ。一期一会って、井伊直弼が茶道の心構えだとかで使った言葉らしいよ。それで、ナオスケ”

 

はあ、知らなかった。茶道の言葉だったんですね

 

 

 

 

4月でも気温が一桁のサッポロは大通公園。僕はベンチに座り、妄想と人間観察にふけっていました。といっても、人は全然いませんから、ビックシルエットの上着に腕を引っ込めて、妄想にふけることにしました。垂れ下がる上着の紐は、地面につけたまま

 

ほんの数分。ぼうとしていたら、知らないうちにその人が、ナオスケさんがいました。お隣に。びっくり。他のベンチはがら空きなのに。昼過ぎの、この中途半端な時間に。今思えば変な人ですが、人が恋しかった僕は恥ずかしさも忘れて、すんなりと話しかけていました。しかし、自分の話ばかりしていたのは失敗です。今度はちゃんとナオスケさんのことを聞いてみよう。見てみれば、革靴に襟付き、けれどボタンを二つ外していて、整った顔に低く響く声、とてもダンディな印象です。寒そうだけど。どんな人なんだろう

 

 

 

 

あの、休憩中ですか

 

“そんなところだね”

 

そうですか

 

“…”

 

あの、何考えてますか

 

“うん、何か聞きたいのかなって”

 

すいません

 

“君、暇だろう。付いてくるかい”

 

…行きたいです

 

 

 

 

知らないおじさんに付いて行っちゃいけない。それ以外の常識は教えられてきたと思うので、ここで学ぶことにしよう。体験に勝るものはないのです。とかなんとか、ブツブツと自分に言い訳をして、南下するほどに増す興奮を抑えるのに必死でした。気がつけば、ススキノは昼の繁華街。人は少し増えました。その人たちが、こちらを注視しているように思えて、後ろめたさを感じてしまう。自分が連れられていることを実感しないように、興奮しすぎないように、前だけを見て、リュックを一層強く握りました

 

着いたところは、細長いアパートでした。ナオスケさんの背中ばかりみていたので、道はよく覚えていません。ずいぶんと歩いたせいか、ここ数週間動いていないせいか、足が重たいです。繁華街でもなくなっています。住宅街とも言い難い、コンクリの壁ばかりが並ぶ、そんな場所。中に入ると、靴が散らかった玄関、懐かしさを感じる匂い、それに中から楽しげな子どもたちの声が聞こえてきて、ナオスケさんには似つかわしくない、普通の家でした

 

 

 

 

“待ってて”

 

はい

 

10秒ほど、中がさらに騒がしくなり、段々と子供たちの声が遠のいていく

 

“いいよ”

 

お邪魔しやす

 

 

 

 

語尾が変になったのに、無反応。少し寂しいです。案内されたのは、机と仏壇だけがある部屋。生活感がまったく無い。しかし、この細長い家です。他に広い部屋があるとは思えません。あっても奥に物置が一つくらいでしょう。そうすると、子どもたちはどこでしょう。外へ遊びに行ったのでしょうか。もしかすると、子どもたちは遊びに来ていただけで、それ以前に、ここはナオスケさんの家ですらないのかも。困りました。聞きたいことが増えてばかりです。攻め気でいかないと、中途半端じゃあいけない!

 

 

 

 

“よければ、挨拶してもらっていいかい”

 

あ、はい。…。あの、この方は

 

ナオスケさんは奥へと消えている

僕は仏壇に手を合わせる

ナオスケさんが湯呑みを二つ持ってくる

 

あの…

 

“どうぞ”

 

あ、ありがとうございます

 

“…”

 

…美味しいです

 

“人間観察と言っていたね、役作りかい”

 

あ、いや、違う、わけじゃないですね。変な人いないかなって、素材集め、みたいな

 

“役者じゃないのか”

 

脚本でも書いてみようかなと思いまして、手始めに、キャラクターから考えてみようと

 

“何か思いついたかい”

 

いえ、まだ

 

“…”

 

全然人がいないので、どんな人が好きか、考えてたんです

 

“…”

 

僕、好きなものに、狂気が成分として入ってることが多いんです。いい狂気。漫画で筋を通すために、無理を通したりするとか。ちょっとした狂気だなって。シンガーが無我夢中に、据わった目で、それでもどこか楽しそうに歌っていたりとか。ダンスもですね。すごい気迫で、苦しそうに踊る人は心を掴まれるんです。そういう人って、漫画はちょっと別かもですけど、普段何を考えてるかわからなかったり、どんな生活してるのか想像がつかなかったり、つかみどころがない感じがして、それも魅力だなって思ったんです

 

“…”

 

あ、ええと、そんな感じです

 

“そこまでわかっていても、思いつかないんだね”

 

知ってるものに似てるなあって、どこか思っちゃうんです。似てもいいとは思っているんですけど、ベンチに座りながら、同じこと何回も考えてました

 

“そう”

 

でも、ナオスケさんは、僕にとって魅力的な人です。なんか、妄想ばかりしてしまいます

 

“そうかな、嬉しいね”

 

はは…

 

“…”

 

あの、ナオスケさんは、好きなものはなんですか

 

“漠然としているね”

 

いろんなものがある中で、これ、と選ぶなら、何を答えるのか、聞きたいです

 

“君も十分、変だね”

 

嬉しいです

 

“…”

 

子どもの泣き声と女性の声がゆっくり近づいてくる

ナオスケさんの穏やかな表情に少し力が入る

 

“考えるよ、淹れ直してくる”

 

ありがとうございます

 

ナオスケさんは奥へ消える

声が家の目の前までくると、呼び鈴が繰り返し鳴らされる

ナオスケさんが足音を鳴らして玄関へと向かう

 

[あ、すいません。近くに越してきた者です。近くって言っても結構歩くんですけど。このあたり全然子どもがいなくて、お友達できないと大変だなと思って、イロイロ。それで、さっきすれ違ったおじさんに、あの人座り込んでお酒飲んでたんですけど、いつもいるんですか? そうだったら、あそこは散歩できないなあ。それで、ここに子連れの人がいるよって教えてもらったんです。こんな場所だとあなたも大変でしょう。イロイロとお話し聞きたいので、よかったら中にいれてもらっていいですか? あ、これよかったらどうぞ]

 

“悪いが、帰ってくれないか…”

 

[ちょっとでいいんです。私、身重なので、一旦座らせていただけませんか。夜からお仕事でしょう。やっと少し時間ができたから、今日中に終わらせちゃいたいんです。お願いします]

 

“帰ってくれ…”

 

[いや、え? 意味わかんないんだけど。なにその態度。お互い協力しようってのに、なに、一人で大丈夫だって、思ってんの? いままではそうだったかもしんないけどさ、アンタがそんな調子だったらイザって時に苦しむのはアンタとアンタの子どもだよ? そんなこともわかんないの? つうか、子どもは? この時間はいつも騒がしいって聞いたけど、まさか遊びに行かせてるんじゃないでしょうね。 …。呆れた。さようなら]

 

“…”

 

ナオスケさんは僕の顔も見ず、奥へ消える

 

あの、すいません。お邪魔だと思うので、帰ります。あの、ナオスケさん

 

奥の扉を開けると微かに子どもたちの声がする

地下に続く階段がある

僕は階段を降りる

 

 

 

 

コンクリで囲まれた地下室

中央、ナオスケはいくつものラジカセに頬を擦り付けて、力なく笑っている

ラジカセから楽しげな子どもたちの声がする

 

あー…

 

ナオスケからラジカセを取り上げて、叩きつけ、踏みつけ、壊す

泣き喚くナオスケ

 

お前の子どもが、どんな笑い声だったかなんて知らない。お前の子どもが、今年で何歳だったのかも知らない。どうだっていい。オレはただ、腹が立った。お前がどんな人間か。期待してのぞいてみれば、こんなもの。お前は狂気に殺されてる。仕様もない狂気だ。なに喚いてんだ。死んだ子の分を生きなきゃいけないってのは、そこらの漫画の1ページ目に描き尽くされてる! オレはそんなこと学びたくて生きてんじゃねえ! とんだ役不足だ。全部蹴ったぐって破り捨てたいよ

 

泣き喚くナオスケを足蹴にする

 

それでもオレは、お前に生きてもらわなきゃいけない。お前の子どもが、どうなったかなんて知らないが、お前の子どもは「今」、オレが殺しちまった

 

ボールペンを落とす

 

書いてくれ。それで生きられるかは知らないが。お前の憎むもの全て。お前の愛するもの全て。インクが血よりも濃い「今」に、お前の全てを書いてくれ。そうすれば、少しはオレも学べるかもしれない。そうして、全部書いて、少し忘れて、生きてくれ。そのおかげで、苦しもうが、悲しもうが、オレにはどうでもいいんだ。オレだって、ムカついてんだから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ああ、ダメだ。また、こんなことばっかり考えてる

 

窓から見える空が白んでいる

散歩に出かける

 

寒いねえ

 

4年目・ヴィトン

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