火のないところに煙は立たない

僕にとってかっこいいとは、恥ずかしいことだった。確か、理由は小学生の頃にからかわれたから。当時のクラスには、かっこいいことが悪いことのように思わせる風潮があった。 
僕にとってかっこいいとは、泥臭いことだった。理由は、みんながそれを嫌がるから。恩師には、君たちはなにもわかってないと言われた。
僕にとってかっこいいとは、難しいことだった。理由は、人によるから。自分をよく知らない人には、自分にとってのかっこよさは伝わらなかった。

僕にとってかっこいいとは、それでも憧れのものだった。理由は…。
例えばアニメに、例えば友達に、例えば先生に、例えばあの時聞いたラップに、例えば何となく入ったサークルの先輩に、影響されて変わっていく価値観の中で、当時は確かにそう感じたんだ。その存在は、僕にとっての勇者だった。そして僕の心に火をつける、ライターのようなものだった。今燃えているものが違うとしても、その火はただの一度も消えなかった。
 僕にとってかっこいいとは、そして生きる指針となった。
何がかっこいいのかを模索しながら、自分にとってのかっこいいを目指して日々を生きた。かっこいい人生を送りたいと思った。かっこよくなることが、自分のミッションになった。その結果自分が間違えても、その思いだけは間違いではないと信じて。

 今の僕にとってかっこいいとは、かっこいいものだ。理由は、もはや他の言葉では置き換えられないから。言語化が自分のかっこいいを説明することならば、僕はそれを拒絶する。かっこいいとは、もっと感覚的で直感的で繊細なアナログなのだ。僕の中のかっこいいが、他の言葉へと貶められてたまるものか。

 今でも思い出す。かっこいいを追い求めはじめた頃、あの小学生の頃。かっこいいを嫌う風潮に立ち向かわんとする自分のことを、まるで勇者と信じて疑わない僕に対して、隣の席に座る女子が言ったあの一言、

「細貝、チャック空いているよ。」

勇者は、ひどく赤面した。

さて、いよいよ明日が本番ですね。
選択肢はたった一つ、全力でぶつかれ!!!
この劇が、皆さんの心に火をつけることを願って。

2年目_脚本演出 た。

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